No.1354 / ジョー山中さん 逝く........


原田芳雄さんに続き大好きなアーティストがまた1人亡くなりました.....


ジョー山中さん


東京時代ライヴハウスで何度もお話しをさせて戴き、凄く優しい彼の気遣いに感心させられました。
彼にサインを戴けたアナログ LP の数々は宝物です。


" Woman " での鼓膜が破れそうな彼の強烈なハイトーン・ヴォイス.....
" 人間の証明のテーマ " はもちろんですが私が一番好きだった曲は井上堯之さんの創られた曲で " Endless Way " です。


ご冥福をお祈りします.....


合掌





ジョー山中


本名:山中明 1946年9月2日横浜生まれ。
1966年、当時のグループサウンズブームに乗り、その特異なマスクで業界の注目の中デビュー。1970年、フラワー・トラベリン・バンド結成。日本から初めて海外へ行ったロックバンドとしてカナダ、アメリカのチャートでも成功を収める。72年にバンド解散後はソロになり、74年アルバム「Joe」を発表。77年角川映画人間の証明」に出演し、また主題歌の「人間の証明のテーマ」も担当。50万枚の大ヒットとなる。これ以降、78年アルバム「武道館ライブ」、79年映画「戦国自衛隊」の挿入歌「ララバイ・オブ・ユー」を発表。ロックシンガージョー山中の地位を不動のものにした。80年代に入ると映画「戒厳令の夜」の音楽を担当、主題歌「哀しみのフローレンス」の作詞・作曲を手がけ、また「ロックミュージカル'80ハムレット」に主演する。82年にはボブ・マーリーのウェラーズとアルバム「レゲエ・バイブレーション1」を発表、その後「レゲエ・バイブレーション2」「レゲエ・バイブレーション3」の発表により、日本におけるレゲエの第一人者としての地位も獲得した。86年、音楽生活20周年記念アルバム「20th ANNYVERSARY」を発表。89年には映画「座頭市」出演、90年にはジム・ベケット監督のハリウッド映画「オリテリア・モーティブス」に出演するなど、ロックシンガーだけでなく、俳優としても活動を行う。90年代に入るとチャリティやボランティアへの参加も活発になり、90年のタイを皮切りにカンボジア、ロシア、ミャンマー、ガーナ、ギニアベトナム、ジャマイカなど各国を訪問。その活動はライフワークとして続けられている。99年にはジョニー・吉長と共に久々のバンドJ・JPROJECTを結成。2000年10月にはミッキー吉野をプロデューサーに迎え、ソロマキシシングル「A MAN,beyond the sky」を発表、2001年にはソロマキシシングル「Moocha,Koocha」を発表。2001年3月オリジナルアルバム「W's」を発表。2003年9月元オフコース鈴木康博松崎しげる、元ガロの大野真澄とアカペラで桑田佳祐作品集「KEISUKE KUWATA MELODIES」を発表。現在、ミッキー吉野を従え、ライブ、テレビ出演、映画出演と幅広い活動を行っていた。
2007年 - フラワー・トラベリン・バンドオリジナル・メンバーによる再始動発表。
2010年 - 2月に肺癌が見つかり、3月25日、自らのホームページで治療中であることを公表。2010年 - 9月6日 バーベキューの火の不始末から自宅全焼。
2011年3月に発生した東日本大震災の募金活動に参加、5月にはチャリティーライブ実施。
7月下旬に心肺停止状態に陥り、8月7日に死去。