No.475 / Laura Nyro


1947年ニューヨークはブロンクス生まれ。
イタリア系ユダヤ人。
比類なき個性を持った女性シンガー・ソング・ライター。


高校の頃ケイト・ブッシュを好きになり丁度同じ時期にマイルス・デイヴィスを兄の影響で聴き始めました。
この2人に共通するミュージシャンが今回の...ローラ・ニーロ / Laura Nyro です。


デヴューは1966年ですからビートルズで言えばアルバム "Revolver" の録音を終了し、日本公演を行い、8月にコンサート・ツアーを止め、" Strawberry Fields Forever / Penny Lane "を録音していた時期に当たりますね。


ジャズ・トランぺッターの父、
オペラやクラッシックファンの母の影響で
幼い頃からラヴェルドビュッシーマイルス・デイヴィスジョン・コルトレーンに夢中になり、その一方でボブ・ディランの詩の世界にも傾倒する......


これだけで何となく彼女の世界が想像できる様な気がします。



風と色......


この2つが彼女の自己表現のテーマだったのかもしれません。


1971年に発表した「Gonna Take A Miracle」というアルバムに " Wind " という曲が収められています。
この曲はデトロイトドゥーワップ・グループ.....ノーラン・ストロング&ザ・ディアブロスの曲です。


この曲を初めて聴いた12歳の彼女は
「本当に風を感じ、流されて行くような気分になったの」
と述べています。


1967年にファースト・アルバム「More Than A New Discovery」をリリースし、同年モンタレー・ポップ・フェスティヴァルに出演。
この頃後に私の大好きなアサイラムやゲフィンと言ったレーベルを立ち上げるデヴィッド・ゲフィンと出会い CBS と契約。
後のコロンビア・レコードの社長、クライヴ・デイヴィスは60年代後半の彼女のレコーディングについてこう述べています。


「アルバムをどんな感じにするのかも、彼女にははっきり見えていたのだが、それをプロデューサーやエンジニアに伝えるのが、色を通してしかできなかった...」


サンタナがバンドのキーボーディスト、トム・コスターに曲のイメージを風景や色で伝えていた....という逸話と多分似ているのでしょう。


オレンジ色の音や青い音.....彼女が求めていたのは12歳の時に感じた "風"のイメージであり、育ったコンクリート・ジャングルであるニューヨークの街の光や匂い、色だったのでしょうね。



ニューヨークという街の磁場と共振しながら懸命に頭の中に浮かぶ "風"と"色"をピアノと歌で表現しようとしていた彼女の最初の5枚のアルバムが大好きです。


10代という若さでブルースが体に入り込み、早熟で多感がゆえに悩み、死やドラッグを身近に感じざるを得なかった彼女に吸い寄せられる様に......共振してしまったようですね。


その中でも1番好きなアルバム「New York Tendaberry」をお勧めします。



ちょうどこの頃、彼女はニューヨークのフィルモア・イーストに出演。
なんとそのオープニング・アクトは彼女の尊敬するマイルス・デイヴィスでした。



その時の様子は彼女の死後リリースされた「Spread Your Wings And Fly : Live At The Fillmore East May 30,1971」で聴けます。




彼女は1997年4月8日、49歳卵巣癌で亡くなるまでに1972年と1994年に来日しています。一度彼女のステージを観てみたかったですね。



参照:No.485 / Laura Nyro & Duane Allman - Outsider Records!